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東芝、白物家電部門を中国メーカーに身売り、ものづくり日本の屋台骨が揺らぐ [世相雑感]

東芝.png

福岡の久留米で「弓曳(ゆみひ)き童子」を見た驚きは忘れ難い。
江戸の世から伝わるぜんまい仕掛けの人形。
巧みに矢を弓につがえ、離れた的に当てる。
この地に生まれた田中久重、人呼んで「からくり儀右衛門」が手掛けたものだ。

人を喜ばせ、暮らしを豊かに。
その一心で幕末維新の激動期、数々の画期的な発明を形にした。
空気圧も生かした高性能の消火ポンプ、自動的に油が回る「無尽灯」。
昼夜なく没頭し、決して投げ出さなかったらしい。

77歳にして東京で構えた工場が没後に芝浦製作所、さらに東芝となる。
後輩の技術者たちも「暮らしの友」を世に出す役目をしっかり継いだのだろう。
120年余り前に開発した国産初の電気扇風機もその一つだ。

以来、歴史を刻んできた白物家電から東芝が撤退し、中国メーカーに事業を売り渡した。
業界の逆風に不祥事が重なったとはいえ、ものずくり日本の根っこが失われたようで少し寂しい。

今後の「商品」は主に企業が対象になるという。
情熱と探求心、そして庶民の目を忘れなかった東芝の祖先はどう見るだろう。
「志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に成就がある」。
遺訓に学びたいのは社員だけではない。


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「写ルンです」懐かしくもあり、昭和生まれの世界の逸品 [世相雑感]

 写ルンです.png

「パソコンが一人一台になるっていうけどさ」とカメラマンが愚痴る。
幾らすると思ってる・・・。
楡(にれ)修平さんの小説「象の墓場」は24年前の冬季五輪から物語が始まる。
外資系フィルム会社が試みに開発したデジカメを、彼に使ってもらったときの話。

なるほど現像の必要はない。
だがハードディスク付きカメラは重かった。
100枚の取り込みに10分かかり、画像をいじるパソコンは高嶺のの花。
カメラ付き電話か、電話付きカメラか、境目のない今どきなら信じられない。

そんな時流をよそに、レンズ付きフイルムがきょう30歳を迎えた。
「写ルンです」の方が通りはいい。
夜景に強い、水に強い新種も生まれ、デジカメ売り場で孤塁を守る。
フィルムを知らない人向けのブログは、一枚とったら手で巻いて、という助言が懐かしくもあり。

写真家の庄司博彦さんは「写ルンです」をリュックに詰め、世界各地の学校を巡ってきた。
なるほど一人一台行き渡る。
廃虚の街に落ち込んでいた子らも、ファインダー越しなら好きなものだけを見て頑張れるという。

たまには自宅で眠る、35年ものの一眼レフのほこりを払っておこう。
ちよっと巻いては、記憶付きカメラなどとしゃれてみる。




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