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利便を犠牲にした鉄道敷設が、城下町を守り世界遺産に [世相雑感]

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明治維新と日本の近代化に数多くの人材を輩出した山口県でも、鉄道の建設では曲折があった。
1901年に開通した山陽線は商売の衰退を招くとの反発から、幾つかルートが変わった。

萩市では当初、山陰線が東西に横切る予定だった。
だが阿武川の三角州にできた城下町をなぜか迂回する。
デルタの南側にあった三つの村が萩との合併に関連して鉄路と駅を求めたらしい。
それが1925年に開通した東萩、萩、玉江の3駅である。

結果的に幸いしたのだろう。
鉄道に分断され、姿を変える日本各地の城下町と違って江戸時代の絵図でも町を歩ける町並みを残した。
今や世界遺産登録につながり、観光客が地元を潤す。

鉄道の日の10月14日に、JR萩駅で銅像が除幕される。
幕末に英国留学した長州ファイブの一人で、「鉄道の父」井上勝である。
功績を伝える数々の資料がすでに駅に展示されている。
市が進める「萩まちじゅう博物館」にも彩を添えるに違いない。

いわば鉄道の敷設が萩の町並みを守ったというのも何かの縁か。
その井上は、古里への鉄路の開通を待たずして亡くなっている。
鉄道ファンと歴女たちでにぎわう現代の駅に立って、何を思うだろう。




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タグ:萩市
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