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「カジマヤーを祝う」素朴に生きる沖縄に幸せの風車であれ [世相雑感]

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旅先で地元紙を買わずにはいられないたちだ。
ささやかな記事にも小さな驚きを見つけては楽しむ。
先日は沖縄で読んだ「カジマヤー祝う」の見出しの記事がそうだった。
おばあさんの数え97歳を祝って、何と親族90人が車列を組んでパレードしたという。

媼(おうな)は山でまきを拾い、海でタコを取って糧を得てきた。
やしゃごを抱くことができる小さな幸せが今ある。
カジマヤーとは風車の意。
その年になれば童心に帰るという言い伝えだろう。
風車を振ってことほぐのである。

人なら歳月に耐えて花開く。
こちらは誰か、カジマヤーを振るだろうか。
沖縄の辺野古の海を埋め立てて築く米軍基地は、「200年に耐えるというが」。

同じ日の新聞は「辺野古が唯一」という国の主張を受け入れた司法への疑念に満ちていた。
知事があぜんとしたのも無理はない。
かつて米軍は「銃剣とブルトーザー」で基盤を造ったが、今はわが政府が願ってやまない。

リオデジャネイロ・パラリンピックの閉会式では聖火の炎を風車の風で消す演出があった。
だが、沖縄の人たちの怒りと嘆きの炎をなだめる風車はあるまい。
やしゃごがができても変わらない「基地の島」の現実がある限り。




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