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「中央史観の克服」で解き明かそうとした、古代文化の史実は [世相雑感]

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上田正昭.jpg

周防灘の離島で回船の船主の子孫に話を聞いたことがある。
船なら尼崎あたりまで1週間で往復したそうです。
柳井木綿を九州へ、帰り荷の魚を京阪神へ。
鉄道が敷かれる明治のことだが、風と潮のおかげで財を成した。

古来、海上の道は自由だった。
律令制の下の瀬戸内海も、通行証は西と東の津で見せるだけでいい。
渡来文化の担い手たちは、風と潮に乗ってやってきた。
おととい訃報を聞いた歴史学者上田正昭さんの著作に教わった。

晩年、何度か京都でお目にかかる。
ひょうひょうとしてるように見えて、常識を覆した学者人生だった。
出雲の古代史に関わる知見もそうだろう。

1974年に「中央史観の克服」と題する一文を発表した。
明治の世に山陰は、「裏日本」とみなされたが、その史観がいかに忠実とかけ離れていたかを問う。
10年後、おびただしい銅剣が出雲の荒神谷遺跡から現れた。

八雲立つ出雲国は、我が静まり巫(ま)さむ国(出雲風土記)。
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は、国譲りしてもなお神威を及ぼしたと、上田さんは折に触れて記した。
古代出雲は一過性の文化ではない、とも。
その身は果てても魂は自由なまま、この国の山海を往来するのかもしれない。


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