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かつての名門チームが残した足跡、地方スポーツ文化の重み [世相雑感]

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サザン・セト大島.png

室津半島の西に位置する山口県平生町。
海あり山ありののどかな町に、かつて日本一を争ったチームがあったのを覚えておられようか。
大阪に本社を置く建材メーカー永大産業のサッカー部だ。

1975年元旦の天皇杯決勝、釜本邦茂さんを擁する強豪ヤンマー(現セレッソ大阪)に敗れこそしたが、創部わずか3年目の快挙。
この間、県リーグから日本リーグ1部へ駆け上がる。

会社の業績悪化で77年に廃部となった。
だが今も語り継がれる鮮烈な記憶とともに、ジュニア育成という大きな財産を残したといえる。
情熱を注いだ一人が主力としてリーグ戦や天皇杯を戦った小﨑実さん(65歳)である。

多くのチームの誘いも断り、会社に残った。
町民の熱意が背中を押したという。
思いをくんで残された永大グランドを拠点に、地元のスポーツ少年団を指導して40年。
県東部の選抜メンバーでつくる周東FCを率いて、何度も全国の舞台を踏んだ。

地域で裾野を広げたのだろう。
周防大島町出身の岩政大樹選手らJリーガー4人も誕生した。
その瀬戸内の島に県内外から集うサザン・セト大島少年サッカー大会も来月で20回を迎える。
地方発のスポーツ文化の重みを実感する。


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