福山市誕生100周年記念、思い出の軽便鉄道路を走る。 [世相雑感]
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ラッキョ汽車・・・。
煙突の形から親しみを込めて呼ばれていた。
福山市中心部と港町の鞆を結んでいた鞆鉄道である。
1913年に開業し54年に廃止されるまで、この地域の大切な交通手段として愛された。
鉄路はわずか12.5㌔。
芦田川を渡って南に下り、備後灘に臨む海岸線を走った。
機関車も馬力が小さく、満員の時など「三分坂」と呼ばれる沿線で一番の急坂を上り切れず、客が降りて歩いたエピソードも伝わる。
夏は海水浴でにぎわった。
戦後間もない頃は乗客数が年間170万人を超えた。
ただモータリゼーションの足音とともにバスとの競合が強まり、客は激減した。
高度成長期を前に役割を終え41年の歴史に幕を閉じる。
社名はそのままで、バス会社となった。
鉄路の大半は県道に変わり路線バスが走る。
廃止から60年余りたつと、往時をしのばせる面影はほとんど残っていない。
開業から3年後の1916年、福山市は誕生した。
21日に開かれる「ふくやまマラソン」では100周年を記念し、「鞆の浦コース」が設けられた。
芦田川河口から鞆の浦まで、かつてラッキョ汽車が走っていた道を約2千人が駆ける。
走者たちの「馬力」が見ものだ。
2016-02-13 13:30
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