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敬老の日に思う、高齢化社会と並行する認知症の受け入れ [世相雑感]

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理性の力を説いたドイツの哲学者カント。
晩年は、物忘れがひどくなって同じことを繰り返し話すようになった。
そう、認知症である。
訪ねてきた弟子にも「どなたでしたろうか」と尋ねて、がっかりさせてしまう。

高齢化社会.jpg

東京大名誉教授の大井玄さんの近著に教わった。
ただ偉人はいつも礼儀正しかったそうだ。
79歳で世を去る何日か前も往診医に礼を述べたという。
衰弱して倒れそうなのに立ち上がって。

認知症の人によくある怒りっぽさや被害妄想もなかったのは、なぜだろう。
大井さんは言う。
症状が進んでも、彼の誇りは傷つけられなかったからだと。
周囲の絶大な敬意があればこそ。

きのうは敬老の日で、各地で祝う行事が相次いだ。
老いた人を敬うことの意味は、これまで以上に大きくなってるのかもしれない。
認知症500万人の時代。
その数は、もう10年すると700万人ほどに膨らみそう。

もしカントが一人で出歩いていたら周囲は、「徘徊」と呼んだろうか。
「一人歩き」「お散歩」と言い換える動きが広がりつつある。
意味もなく歩き回ってるように見えても、その人には目的や理由があるからだと。
敬意を忘れず、いかに伝えるかを考えたい。
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