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気象庁発表「本震」は「前震」かも、熊本大震災「余震」は続く [事件事故]

 前震.jpg

けたたましいアラーム音に跳び起きた。
きのう未明、緊急地震速報が鳴りやまぬうちに部屋が揺れ始め、身を硬くした。
震源はまた熊本県だが、今度は中国地方もがたがたと。
やはり日本列島はつながっていると思い知った。

熊本が震度7が、あれは「前震」でしたと、気象庁が言いだした。
きのうの揺れこそが「本震」に違いないという。
震度は6強だが、阪神大震災に匹敵するほどのマグニチュードだった。

散々揺すった余震も一服したか・・・。
そう踏んで避難先から自宅へと戻った人もいただろう。
そこを大地震が襲う。
度重なるダメージに耐えきれず、家屋が倒れた。
何人もがそれに巻き込まれたとしたら悔やみきれない。

家に帰ろうにも怖くて近づけない。
止まぬ余震にそんな人が多いのだろう。
避難者数は、熊本だけで約9万人に上ったという。
夜昼なく襲い掛かる揺れに震え、睡眠もままならないはず。
心身のダメージが心配される。

大分県でも地震が起き始め、専門家は「震源が別の断層に移って来た」と見る。
阿蘇山の機嫌も気になる。
降りかかる雨を被災者はしのげただろうか。
身を寄せられる所を一日も早く用意したい。




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熊本に129年ぶりの大地震、災害は忘れかけたころに [事件事故]

地震熊本.jpg

「街道をゆく」を取材中の司馬遼太郎さんが熊本の旧城下で古い鍛冶屋さんを見かけた。
飛び込んだはいいが、用件を聞かれて困った。
そこで大男の拳ほどの頭が付いた石工の金づちを手にし、問えば700円という。
驚いた。
想像したよりも一桁安いから。

店は15代、400年続くと聞きまた驚く。
<十年の役(西南戦争)のときも逃げずにずっと打っていたそうで>。
わが事のようにそういって、主人は撃ち合いがあった表通りを指し<どんどん飛んで来よりましたが>

十年の役の十年とは、明治10年、西郷隆盛率いる不平士族が熊本城を落とせず新政府軍に敗れた。
М6.3の自信が起きたのは、その12年後である。

近年大きな揺れに遭遇しなかった熊本の人々は余震が続く中、不安な2夜を過ごしたことだろう。
心からお見舞い申し上げたい。
名所のお城も長塀や石垣が崩れたが、ここまで風雪に耐えてきた。
きっと復旧できよう。

日本が「尋常(ただ)ならぬ国」だとすれば、四間間口の鍛冶屋さんが毅然としてあるからだといえよう。
司馬さんはそう結んでいる。
あるいは熊本という大藩の奥行きの深さである、とも。
弱きを包み込む懐の深さが今もあると信じる。




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清原和博容疑者を覚せい剤所持疑い逮捕、元西武・巨人選手 [事件事故]



2日午後8時48分ごろ、東京都港区東麻布の自宅マンションで、警視庁は覚せい剤を所持していたとして、覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで、
元プロ野球選手清原和博容疑者を現行犯逮捕した。
警視庁によると、清原は「覚せい剤は私のものに間違いありません」と、あばれることなく容疑を素直に認めたという。

清原をめぐっては、週刊文春が2014年3月13日号で、薬物使用疑惑があると報道していた。
大阪・PL学園高校で甲子園に5季連続出場し、通算13本塁打で優勝2度、準優勝2度。
エースだった桑田真澄とともに「KKコンビ」と呼ばれた。

ドラフト会議では希望の巨人から指名を受けることができず、西部に1位で入団した1986年に新人王を獲得。
巨人との日本シリーズで流した涙は感動を呼んだ。「番長」と呼ばれた独特のキャラクターでも人気を博していた。
西部に在籍した11年間で8度のリーグ優勝、6度の日本シリーズ制覇を4番打者として支え、3番の秋山幸二氏と合わせ「AK砲」と恐れられた。

ただ、現役引退後はテレビ番組などの芸能活動で活躍する一方、プロ野球の現場からは遠ざかっていた。
週刊誌では何度も薬物疑惑や刺青疑惑が、夫人との離婚なども含め報道をにぎわすことが多かった。k



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未明のスキーバス転落、大学生や若者2桁死亡の大参事 [事件事故]

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深夜に都内をバスで出発し、朝起きたらパウダースノーの銀世界へ。
道中を共にした学友たちとの距離も縮まった。
20年近く前のスキーツアーの思い出である。
重ね合わせて胸が痛んだ。

楽しいはずだったのに。
きのうスキー場に向かうバスの旅が軽井沢の峠道で暗転した。
くの字に曲がる車体が衝撃の強さを物語る。
「助けて」との声が暗闇に響いたという。
若者たちの未来を奪う大惨事に身震いする。

現場は古代から馬が行き来した山道で、カーブと急坂が多い難所。
予定の高速道ではなく、そんなルートをなぜ通ったか。
危険度が高いと容易に想像できるのに、スピードが出ていたという証言があるのは見過ごせない。

安全の手綱は、どこまで締めていたのだろう。
同じように山を縫う道で、2桁を超える人が命を落とすバス事故は過去に繰り返し起きてきた。
規制緩和の陰で、冬の山の恐ろしさを甘く見ていたとすれば腹立たしい。

犠牲者と家族らの無念さは、察するに余りある。
「うめき声や泣き声が聞こえてきた」「自分が生きているのが不思議」。
近くにいた友を失った若者は、体のみならず心の傷も負っただろう。
つらい思い出に変えた原因を突き止めてもらいたい。


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