ハーフマラソン発祥の地、萩には語り継がれる美談があった [スポーツ]
先頃、萩城下町マラソンを走った。
程よく田舎の風情が残り、日本海を望む美しい海岸、川、鉄道と、通り過ぎる景色が心地よい。
もちろん城跡や幕末の歴史を映すたたずまいも。
萩には当時の道筋の9割が残るとされている。
景観が守られた理由は幾つもある。
周辺の要望で中心部を迂回した鉄道。
旧士族のため武家屋敷跡などで夏ミカンが栽培され、土塁や石垣が残った。
デルタの町ゆえ水害対策の遊水地も多く、そこに明治以降、公共施設が建てられたのも一つだ。
町の成り立ちに身を委ねながら、初めて挑んだハーフマラソン。
住民から聞いた「香川津二孝子(かがわづにこうし)」の逸話にも思いをはせた。
200年前の江戸時代、この地で暮らした兄弟である。
母の病気快癒を祈り、7日7晩断食をする。
往復7㌔を毎日走り、現在は円政寺の境内にある金毘羅社に参ったという。
だが最後の日に風雪に力尽きる。
そんな孝行が語り継がれてきた。
大正時代の「百年祭」では、今でいうハーフマラソンが萩で初めて開かれたそうだ。
今回も二孝子の地に旗がはためき、声援を送る子供たちのおかげで力尽きることなく完走した。
歴史の町ならではの追い風に乗ったかのように。
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