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タイ国の柱、国父と慕われ続けたプミポン国王逝く [訃報]

プミポン国王.png

十数年前タイ旅行の前に求めた三島由紀夫の「暁の寺」を久々に読み返す。
運河と仏塔の都、バンコクが妖しくも美しく小説に描かれる。
「メナムの対岸から射し初(そ)めた暁の光を、その百千(ももち)皿は百千の小さな鏡面になってすばやくとらえ」という一文に傍線を引いていた。

私も訪れたワット・アルン(暁の寺)の塔には、無数の陶器がちりばめられる。
小説の表現を借りれば、多くの仏塔は暁の光を最初に受け、夕日の反映を最後までとどめる。
日のある間にさまざまに色を変えるのだ。

プミポン国王の70年に及ぶ在位もまた、最後まで光をまとうものだったに違いない。
国父と慕う民が嘆く中、病没した。

兄の急死で戦後の混乱期に即位する。
時の首相の思惑で生まれた「タイ式民主主義」の象徴であり続けた。
自らの権威を背景に、政治対立を調停する国王の姿。
多くの日本人がニュースを見聞きして驚いたことだろう。

だが、ここ10年の危機では、神通力にも陰りが。
富める者、貧しい者の溝の広がりが大いに影響していよう。
調停役も代替わりするのだろう。
バンコクは地元ではクルン・テープ(天使の都)というそうだ。
争いがあっても、おおらかに鎮める国であれ。

ワット・アルンの夜景





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