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「天気予報は平和のシンボル」気象台も住人も痛切に実感 [世相雑感]

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新聞に初めて天気図が載ったのは、92年前のきょうだ。
首都の新聞の一つが先駆けで、徐々に各地に広がる。
災害への備えはもとより、外出や農作業の計画を立てるのに重宝されたからだろう。

その天気図が紙面から消えた時代があった。
真珠湾攻撃と同時に軍が気象台に情報管制を敷いたからだ。
晴天を敵に知らされると空襲されると危ぶんだのか。
3年8か月に及ぶ「空白」のあおりを食ったのが住民である。

開戦翌年の8月、周防灘台風が山口県を直撃する。
死者・不明者は800人近くに及んだ。
「警報不徹底による被害」との分析が中央気象台の文章に残る。
早く暴風雨の情報を知らせていたら、救えた命もあったろうに。

今は温暖化によるゲリラ豪雨急増などで、空模様の変化が気になる時代である。
2年前の広島土砂災害も思い出す。
天気予報にしっかり耳を傾けて異変の兆候はないか、万一の際はどう避難するか考えておきたい。
8・20の光景を胸に刻みながら。

戦後の気象台員は「天気予報は平和のシンボル」と肌身に感じ、風水害と向き合って精度を高めてきたはずだ。
台風シーズンが近づく。
油断という「空白」が広がらぬよう発信力を強めてほしい。


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