想定外の非常事態時の避難誘導責任問題、司法判断の行方は今日 [世相雑感]
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震災の翌年の秋、東北を巡り、その校庭を見渡して足がすくんだ。
よそ者が踏み込んでいいのか自問する。
校名を刻む門柱は、亡き人を悼む献花台だった。
手向けられたヒマワリの黄色が悲しかった。
宮城県石巻市の大川小は高さ8.6㍍の津波に、児童・教師ら84人がのまれる。
だが、大きな揺れから惨事まで「空白の51分」があった。
津波が川をさかのぼる間に、どうして・・・。
遺族は無念の思いで日々を過ごした。
地元紙の河北新報が、その心境を伝えている。
長男健太郎君を失った男性は市や県を訴えて程なく、がんを宣告された。
「おっとう。仕方がなかったで終わらせないでくれ」という声なき声を支えに、きょうの判決を待つ。
学校が巨大津波を予見できたのかどうか、争われてきた。
なぜ児童たちを裏山に避難させなかったのか・・・と遺族はただし、市は倒木や山崩れの危険があった・・・と反論する。
判決がどうあれ、亡き人は帰ってこない。
しかし真実に迫ることができれば。
県内の中学校に勤務中、次女みずほさんを失い、今は大川小で語り部を続ける元教師は、「逃げろ」「死ぬな」と叫ぶ。
「空白の51分」は人ごとではない。
多くの命と向き合う裁判でもある。