司法判断にも時代と時流の変化、裁量と護憲の調和が試される [世相雑感]
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解散風が吹きだすと、ひとごとではない職種に最高裁の裁判官がある。
任官すると、次の衆院選で国民審査を受ける。
今までに罷免、つまり首になった例はゼロだが、いつにも増して居住まいを正しているに違いない。
15人の裁判官の写真や笑顔がホームページに載っている。
座右の銘や心構えに「公正」「誠」の字が目立つのは当然として、趣味の欄では落語ファンや推理小説好きを明かす。
「憲法の番人」も何か身近に思えてくる。
この判決を下したのは、どんな裁判官だろう。
私立学校の女性教論が旧姓使用を職場に求めた訴訟で、東京地裁は訴えを退けた。
旧姓を使うことの利益と広がりを認めながらも「社会に根付いたとまでは認められない」とした。
「女性活躍の時流に逆行する」との反発がある。
審理に当たる3人の地裁裁判官が皆、男性だったことで勘繰られている。
旧姓使用の定着を踏まえ、夫婦同姓を合憲とした昨年の最高裁判決とも、つじつまが合わない。
家族のありようが変わり、「正解」が一つとは限らない時代。
ある最高裁裁判官はこんな座右の銘を挙げる。
「人間は努力する限り迷うものだ」。
裁判官の迷う胸の内もさらけ出せないものか。
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