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「忘れられた日本人」にある、思いやる親子の絆、地域の絆 [世相雑感]

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 田野岡大和.png

 昭和も30年代の頃だ。
小学1年の男の子が自宅にないテレビを見たいと近所に出かけ、帰宅が遅れる。
母親が叱ると黙って飛び出し夕飯になっても行方知れず。
ついには地元集落挙げて捜し始める話が、宮本常一の「忘れられた日本人」にある。

誰も指揮しなくても、村人らは男の子がいそうな池や川、山畑の小屋などをめいめい捜す。
やがて自宅の戸袋の隅からひょっこり出てきて、一件落着。
昔の村は良き共同体だったと、宮本は書き留めたかったのだろう。

北海道の山中で、小学2年田野岡大和君の捜索がきのうもあった。
自ら飛び出したのではなく、「しつけ」のため両親に車から降ろされたという。

やりきれない話だが、それを責めても始まるまい。
大和君は食べ物も、携帯電話も持たなかった。
夜露をしのいで耐え忍ぶ場所が、山中のどこかにあれば望みはもてるが。
捜索隊には、そんな土地勘の働く人もいよう。

「忘れられた日本人」の男の子は実は複雑な心境だった。
テレビを我慢して早めに帰宅したつもりだったのに叱られた、というのである。
そんな子の心を親は知るべし、という訓話でもあろう。
悪天候の中、大和君の捜索は今日も続けられる。


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