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昭和の伝説最終章、原節子さん命の終焉 [芸能・ゴシップ]

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東京物語尾道ロケ.png

尾道に残る伝説の一つである。
その日、駅の入場券が空前の3千枚も売れたという。
あの原節子さんを一目見たいと・・・。
終戦から8年後、小津安二郎監督が「東京物語」を撮るロケ地だ。
さすがに危ないと、一つ手前の駅で降りたそうだが。

その大女優が世を去った。
映画という舞台から降りて半世紀、昭和の時代が本当に終わったのだろう。
戦争を挟む出演作は100本あまり。
凜としたまなざしの力強さは伝説にふさわしい。

花咲かせたのは古き良きキネマ界の眼力に違いない。
無名の少女を「この娘のためなら命を捨ててもいいと思う女優」と抜擢したのは若き天才山中貞雄監督。
戦後、日本人の記憶に残る才能を引き出したのが小津監督だった。

特に忘れがたいのが「東京物語」のクライマックスだ。
尾道の地で戦死した夫の父に再婚を促され、感極まる。
文芸評論家の末延芳晴さんによれば「映画史上空前絶後」の号泣の演技であり、女優原節子の頂点だという。

自らの作品にはいつも謙虚で、引退前の対談で「映画館にお金を出して入ってくださる方に気の毒」とまで語っていた。
身を隠すように暮らした晩年であった。
その半生と映画界の栄枯盛衰に、どんなまなざしを注いでいたのだろうか。
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